洲崎球場は、1936年に現在の東京都江東区新砂に所在した木造の野球場です。わずか51日間の突貫工事で完成した球場は、周囲がトタン板で囲われ、内野スタンドは木造の10段式。しかし、敷地は昭和初年に埋め立てられたばかりで地盤は不安定。杭が打ち込めず、スタンドは地面に置いただけのものでした。同年秋には後楽園球場が完成したことで、翌年の開催は激減、わずか1年7カ月という短命で役目を終えたとされています。
当時の球場について
所在地 : 東京都江東区新砂1-2-3
収容人数 : 20,000人
グランド : (内野)黒土・(外野)黒土
照明設備 : なし
オープン : 1936年
球場の歴史につきまして
現在の日本シリーズにあたる年度優勝決定戦が1936年12月9日より巨人と阪神の間で行われました。この対戦は洲崎の決戦と呼ばれのちに巨人と阪神の対戦を伝統の一戦と呼ぶ事となりました。この球場で始まったライバル対決は今でも後世に語り継がれています。
打撃の神様と呼ばれた川上哲治氏はこの球場でプロデビューを果しました。
又、伝説の投手、沢村栄治氏がこの球場でノーヒットノーランを記録しています
この球場では前代未聞の水没コールドゲームの歴史も残っています。当時外野スタンドのすぐ後ろに東京湾が広がっていまして海抜はわずか60センチだったそうです。そのゲームは1938年3月15日、巨人対金鯱で晴天の中グラウンドに大量の海水が流入してきたのです。原因は高潮と球場横にあった掘割の堤防が崩れたことによるもので一塁側に陣取っていた巨人は、ベンチをコーチャーズボックスの近くまで移動させましたが、海水の流入は止まらず、5回終了時点で試合続行不可能となりコールドゲームが宣告されたとされています。
アクセスについて
東京メトロ東西線東陽町駅から徒歩6分
東京都の交通・観光・食べ物を知る
旅行の前に、東京の基本情報をまとめておりますので、ご参考にご利用ください。
(1)足立区・荒川区・江戸川区・葛飾区・江東区・墨田区・台東区エリアの交通
会場をまとめるためにエリア分けをしているものの、東京23区に関しては、どのエリアからでもそれほどアクセスが悪くはありません。
基本的には山手線がある程度のエリアを網羅しており、真ん中は、中央線、総武線が走ります。
細かく回るのであれば地下鉄もありますので、移動する際にスマートフォンなどで乗り換え案内を見ながらアクセスされるのが良いかと思います。
(2)足立区・荒川区・江戸川区・葛飾区・江東区・墨田区・台東区エリアのホテル
足立区・荒川区・江戸川区・葛飾区・江東区・墨田区・台東区エリアのホテルをピックアップしております。
このエリアは、台東区浅草、上野エリアにドミトリーを中心としたバックパッカーズの宿泊が比較的多めにあります。
(3)足立区・荒川区・江戸川区・葛飾区・江東区・墨田区・台東区エリアの観光
いくつも見どころがあり、何をするか、何を見たいかにもよりますが、台東区であれば、上野公園内に動物園や博物館などが固まっており、コンパクトにいろいろ回りやすくなります。上野駅からはスカイツリー方面へのバスも出ていますし、銀座線で浅草へも行きやすくなります。
一番良いのは、混雑していた場合、または天気が悪かった場合などのセカンドプランを持てることです。観戦とセットで観光を考えた場合、混雑などにより思うように回れない、また当日、雨で外を回るのが難しいということはあり得ます。
そのため、混雑していた場合に行ける他の場所などをピックアップしておけば、観戦前の時間のない中でもスムーズに回れることができます。
(4)足立区・荒川区・江戸川区・葛飾区・江東区・墨田区・台東区エリアで食べる
東京ですので、どこに行ってもお店があります。
後は、何を食べたいか、どこで食べるかになります。
いくつかのお店はピックアップいたしますが、東京の場合は、カバーしきれないので、ご自身でもインターネットでお探しされることをお勧めいたします。
観光と同様に人気店は並ぶことがあります。
そのため、時間がない中で人気店に行こうと思うと、食べれないこともあるかもしれませんので、事前にいくつかお店をピックアップしておくことをお勧めいたします。