吉田松陰誕生地(山口県)

天保元年(1830年)吉田松陰は萩市を一望できる高台「団子岩」で生まれ、19歳までここに住んでいました。現在は敷石で当時の間取りが再現されています。3畳の玄関と6畳2間、3畳2間と台所、別棟の納屋と厩という簡素な家だったようです。また、誕生地からは吉田松陰と妻の文も見ていたであろう指月山などを一望できます。また、すぐそばには下田海岸でペリー艦隊を望見する吉田松陰と金子重之助の銅像もあります。

基本情報

所在地 〒758-0011 山口県萩市大字椿東1433−1
営業時間 24時間
定休日 年中無休
料金 無料

アクセス

吉田松陰誕生地はJR東萩駅の南東へ約2キロとなり、「萩循環まぁーるバス」の東回りコース(松陰先生)を利用すると便利です。東萩駅前から乗車して「松陰誕生地前」で下車。所要時間は約16分、料金は100円となります。始発の午前7時から終発の午後6時まで、約30分間隔で運行されています。バスは一方通行なので、往路は早く到着しますが、復路は遠くなりますので徒歩のほうが早いと思います。吉田松陰誕生地から東萩駅まで徒歩約30分となります。また、松陰神社からも徒歩圏内で徒歩約10分ほどです。バスの路線図、時刻表の詳細は萩循環まぁーるバスの公式サイトでご確認ください。

吉田松陰誕生地

吉田松陰は天保元年(1830年)8月4日、杉百合之助と滝の間に次男坊として萩市に生まれました。父が貧乏侍だったため、時には「父上、僕もお手伝います」と兄と一緒に畑を耕したり草取りをして家計を助けていたといいます。その合間には父から学問を授けられ、19歳まで過ごしていました。では、松陰少年も立っていたと思われる高台に行ってみましょう。眼下には萩市が広がっています。「ここで吉田松陰が生まれたというのは、なんか将来を暗示してるみたいだ」全体を俯瞰することによって日本の将来をどう導いていくか?真剣な眼差しで思索する松陰少年が想像されてなりません。


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