玉木文之進旧宅(山口県)

玉木文之進は天保13年(1842年)現在の「旧宅」で松下村塾を創設しました。甥である少年時代の吉田松陰をスパルタ教育で指導したことでも知られています。室内には玉木文之進の肖像画や家系図などの他、ゆかりの品は展示されていませんが、ボランティアのガイドさんによる丁寧な説明を聞くことができます。後に吉田松陰が継承する松下村塾の起源とあって、穴場スポットとなっています。

基本情報

所在地 〒758-0011 山口県萩市椿東1584−1
営業時間 午前9時から午後5時
定休日 年中無休
料金 無料

アクセス

「玉木文之進旧宅」は松陰神社と吉田松陰誕生地の間にあり、どちらからも徒歩で約5分ほどの距離となります。「旧宅」は普通の民家のようにも見えますので、表に立っている石碑「松下村塾発祥の所」に注意しましょう。松陰神社の境内にある「松下村塾」「吉田松陰歴史館」などを見学した後に回るといい思います。

玉木文之進旧宅

とにかく玉木文之進は泣く子も黙る鬼教師だったようですね。今に伝えられる挿話に「蚊、追っ払い事件」があります(笑)「松下村塾発祥の所」のある日、兵学の講義中。では諸君、孫子曰く「敵を知り己を知らずば百戦殆うからず!そのほう、この兵法を何と心得るか?」ちょうどその時でした、松陰少年が顔の前で手をヒラヒラと振ってるじゃありませんか。すると激昂した文之進は「やいっ寅次郎、そちはわしをおちょくっとるか!?」と松陰少年にげんこつを一発お見舞い、ポカッ!「叔父さん、そりゃないよ・・・」ちょっと蚊がうるさくて払っただけなのに。目から星が飛び出るような痛みをこらえながら訴えるも容赦ありません「だまらっしゃい、神聖なる学問の場で叔父さんとは不届きな!蚊の一匹や二匹に狼狽しおるとは、たわけ者がっ」集中力が足りんぞ、たるんどる。そこに直れ!この頃のことを吉田松陰は回顧して「死ななかったのが不思議なくらいだ・・・」もしかしたら、とことん叔父さんを研究し尽くしていたのかもしれません。それにしても1844年、14歳にしていきなり藩主の毛利慶親から「孫子を聞きたい、虚実篇を講ぜよ!」と命じられても淀みなく講義したというのですから頭が下がります(笑)


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