プロ野球は2024年で誕生から90年を迎えました。日本のプロ野球の誕生1934年11月に開催された日米野球で翌12月に全日本チームを中心として大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)が誕生しました。2年後の1936年に東京巨人(現読売ジャイアンツ)、大阪タイガース(現阪神タイガース)、名古屋(現中日ドラゴンズ)、東京セネタース、阪急(現オリックスバファローズ)、大日本(のちに大洋ホエールズと合併)、名古屋金鯱の7球団によりプロ野球リーグ戦が本格的にスタートしました。1937年に後楽園球場と西宮球場がオープンしました。1943年頃から戦争激化で翌1944年に休止し1946年に再開、初のナイトゲームは1948年にルー・ゲーリックスタジアム(現横浜スタジアム)で開催された巨人vs中日戦、1950年にセントラルとパシフィックの2リーグ制が始まったとされています。日本野球機構ホームページの公式戦開催全球場によると2023年終了時点で日本国内で286球場と海外5球場で公式戦が開催されています。今回はその中から既に閉鎖された球場で形跡(記念碑等)がある球場跡地を開催試合数順にまとめたものとなります。
後楽園球場(後楽園スタヂアム)
後楽園球場は、1937年に開場した東京都文京区にあった野球場です。プロ野球を行える球場として前年に上井草球場と洲崎球場が完成していたが両球場とも問題をかかえ急遽、大日本帝国陸軍東京砲兵工廠の跡地に建設された。約半世紀が経過し施設の老朽化により、1987年シーズンをもって閉鎖され隣接する競輪場跡に東京ドームが建設され、球場としての役割を東京ドームに引き継ぐ事となった。
尚、後楽園球場に関する記念碑や跡地を記したものはなく東京ドーム内にあります野球殿堂博物館に展示品がかろうじてある程度です。
所在地 : 東京都文京区後楽1-3-61
公式戦初開催 : 1937年9月12日
公式戦最終開催 : 1987年10月18日
収容人数 : 38,000人 (開場時)
グランド : 両翼78m、センター120.5m (開場時)
公式戦試合数 : 7168試合
本塁打数 : 10,416本
阪急西宮球場(阪急西宮スタジアム)
阪急西宮スタジアムは、阪急電鉄『西宮北口駅』前に1937年から2002年まであった多目的スタジアムで1991年まで『阪急ブレーブス』が本拠地としていました。この球場では野球以外に競輪開催やアメフトの試合、コンサートなども行われていました。1971年のオールスターゲーム第1戦で江夏豊投手が9連続奪三振を記録したのはこの球場で今なおこの記録は破られることなく伝説として多くのファンの記憶に刻まれています。そんな球場跡地は2008年に大型商業施設『阪急西宮ガーデンズ』として生まれ変わり、5階に球場のジオラマ模型などが展示されている『阪急西宮ギャラリー』があります。
所在地 : 兵庫県西宮市高松町14
公式戦初開催 : 1937年5月5日
公式戦最終開催 : 1996年8月24日
収容人数 : 35,000人 (開場時)
グランド : 両翼101m、センター118.9m (開場時)
公式戦試合数 : 3465試合
本塁打数 : 4,204本
広島市民球場
かつて球場があった跡地に2023年にひろしまゲートパークが出来その一角に勝鯉の森がありセントラル・リーグ優勝記念碑と日本選手権シリーズ優勝記念碑、そして「鉄人」の愛称で親しまれた衣笠祥雄さんの連続試合出場世界新記録記念碑がひっそりと佇んでいます。マツダスタジアムが完成したした際には移設する案もありましたが、ファンからの要望で旧広島市民球場の跡地に残されました。栄光の歴史を刻んだ記念碑は今も静かにカープを見守っています。
所在地 : 広島県広島市中区基町5-25
公式戦初開催 : 1957年7月24日
公式戦最終開催 : 2008年9月28日
収容人数 : 31,984人 (開場時)
グランド : 両翼91.4m、センター115.8m (開場時)
公式戦試合数 : 3182試合
本塁打数 : 6,536本
大阪球場(大阪スタヂアム)
南海ホークスの本拠地として大阪繁華街『難波駅』近くに1950年に完成した野球場で関西の野球場では最も早い1951年にナイター照明も完備されました。街中の限られた土地に建設したこともあり、内野席の傾斜は最大37度とスキージャンプ台に匹敵するきつさで有名でした。この球場で印象的だった試合のひとつに1979年に近鉄の球場が開催基準を満たさなかったため大阪球場で開催された近鉄vs広島の日本シリーズ、その最終戦伝説の『江夏の21球』のドラマはこの球場で生まれました。球場閉鎖後跡地は当初住宅展示場、その後、商業施設のなんばパークスとなり、施設内2階には当時の球場の位置に投手板とホームプレートが設置され、9階には『南海ホークスメモリアルギャラリー』があります。
所在地 : 大阪府大阪市浪速区難波中2-8-110
公式戦初開催 : 1950年9月17日
公式戦最終開催 : 1990年8月2日
収容人数 : 31,379人
グランド : 両翼91.5m、センター115.8m (開場時)
公式戦試合数 : 3049試合
本塁打数 : 4,817本
川崎球場
かつて大洋ホエールズ(現DeNA)やロッテオリオンズ(現千葉ロッテ)の本拠地として、記録にも記憶にも残るドラマを数多く生み出した川崎球場。その中で最も有名なのが今なお語り継がれている『10・19』と呼ばれる、1988年10月19日に行われたロッテvs近鉄のダブルヘッダー。この年近鉄と西武は最後まで優勝争いをしていて、この試合前で近鉄の残り2試合でマジック②、ダブルヘッダーで連勝すれば優勝となる大一番。近鉄は第1試合に逆転勝ちし続く第2試合4対4で延長戦に突入。10回表近鉄は無得点で攻撃を終えた試合時間は3時間57分を経過して4時間を超えて新しいイニングに入らないルールにより時間切れ引き分けになり惜しくも優勝を逃しました。2試合合わせての試合時間は7時間33分でのちに『パ・リーグの一番長い日』と呼ばれる伝説のダブルヘッダーとなりました。
所在地 : 神奈川県川崎市川崎区富士見2-1-9
公式戦初開催 : 1952年4月3日
公式戦最終開催 : 1992年7月4日
収容人数 : 30,000人
グランド : 両翼90m、センター120m (開場時)
公式戦試合数 : 2453試合
本塁打数 : 4,691本
平和台野球場
平和台球場は、福岡市舞鶴公園に1949年から1997年まであった野球場です。1951年から1972年まで『西鉄ライオンズ』が本拠地として公式戦を開催し以降『太平洋クラブライオンズ』『クラウンライターライオンズ』と変わり1978年に買収され『西武ライオンズ』として埼玉県所沢市にチーム本拠地は移転しました。それから10年後の1989年南海ホークスがダイエーに買収され『福岡ダイエーホークス』が1992年まで本拠地としていました。
所在地 : 福岡県福岡市中央区城内1-2
公式戦初開催 : 1950年3月10日
公式戦最終開催 : 1992年10月1日
収容人数 : 34,000人
グランド : 両翼91.4m、センター122m (開場時)
公式戦試合数 : 1904試合
本塁打数 : 3,356本
東京スタジアム
東京スタジアムは、かつて東京都荒川区南千住にあった野球場です。1962年から1972年までの10年間、千葉ロッテマリーンズの前身・毎日大映オリオンズが本拠地として使用していました。かつて製絨所だった跡地に総工費約20億円をかけ、わずか1年足らずで完成させた大リーグのボールパークのような最先端の設備を有しながら、庶民が下駄履きで気軽に通えるような球場をコンセプトに開場しました。サンフランシスコにあったキャンドルスティック・パークとシカゴにあったコミスキー・パークをモデルに設計されたと言われています。レフトスタンド地下にはボウリング場も併設されていて、シーズンオフには巨大な屋外スケート場としても利用されていました。跡地には1984年に荒川区総合スポーツセンターが建設され現在に至ります。
所在地 : 東京都荒川区南千住6-45-1
公式戦初開催 : 1962年6月2日
公式戦最終開催 : 1972年10月15日
収容人数 : 30,720人
グランド : 両翼90m、センター120m (開場時)
公式戦試合数 : 844試合
本塁打数 : 1,916本
洲崎球場(洲崎大東京球場)
洲崎球場は、1936年に現在の東京都江東区新砂に所在した木造の野球場です。わずか51日間の突貫工事で完成した球場は、周囲がトタン板で囲われ、内野スタンドは木造の10段式。しかし、敷地は昭和初年に埋め立てられたばかりで地盤は不安定。杭が打ち込めず、スタンドは地面に置いただけのものでした。同年秋には後楽園球場が完成したことで、翌年の開催は激減、わずか1年7カ月という短命で役目を終えたとされています。そんな中で現在の日本シリーズにあたる年度優勝決定戦が1936年12月9日より巨人と阪神の間で行われました。この対戦は洲崎の決戦と呼ばれのちに巨人と阪神の対戦を伝統の一戦と呼ぶ事となりました。この球場で始まったライバル対決は今でも後世に語り継がれています。
所在地 : 東京都江東区新砂1-2-3
公式戦初開催 : 1936年11月29日
公式戦最終開催 : 1938年6月12日
収容人数 : 30,720人
グランド : 両翼90m、センター120m (開場時)
公式戦試合数 : 116試合
本塁打数 : 40本
岩手県営野球場
岩手県営野球場は、岩手県盛岡市にある野球場になります。全国高等学校野球選手権岩手大会の主会場としての使用をはじめ、硬式・軟式問わず多くのアマチュア野球公式戦が行われている。またプロ野球公式戦も楽天イーグルスをメインにほぼ毎年1試合が開催されています。2012年7月23日には東日本大震災復興の一環として県内初となるオールスターゲームが開催されたました。そんな中惜しまれながら2023年3月31日老朽により閉鎖となりました。
所在地 : 岩手県盛岡市三ツ割4-9-2
公式戦初開催 : 1970年7月4日
公式戦最終開催 : 2022年6月22日
収容人数 : 25,000人
グランド : 両翼91.5m、センター122m
公式戦試合数 : 79試合
本塁打数 :152本
鳴海球場
日本で初めてプロ野球が行われた鳴海球場は1958年まで愛知県名古屋市にありました。現在は、自動車教習所となり、跡地として残っております。跡地にある看板によると、昭和11年2月9日に行われた日本で初めての職業野球団の試合として、東京巨人軍と名古屋金鯱軍が対戦し、10対3で金鯱軍が勝った。この試合には東京教員軍の沢村栄治投手が登板したとあります。また、これに先立つ、昭和9年11月22日には、日米野球が行われ、ルー・ゲーリッグ、ベーブ・ルースを擁する全米軍と全日本軍が対戦し、6対5で全米軍が勝ったと記されています。
所在地 : 愛知県名古屋市緑区鳴海町文木90
公式戦初開催 : 1936年5月17日
公式戦最終開催 : 1953年5月3日
収容人数 : 40,000人 (公称)
グランド : 両翼91.4m、センター123.5m
公式戦試合数 : 53試合
本塁打数 : 30本